妻が2週間入院して気づいた、時間とお金の「余白」の本当の価値

サイドFIRE設計図

「お父さん、お子さんが熱を出されまして」

平日の午前10時半。会社の会議室に向かう途中で鳴った保育園からの電話に、私は一瞬、頭が真っ白になりました。妻が入院して、まだ2日目のことです。

妻が2週間入院することになりました。妻は前職を退職したばかりで、求職中でした。そんなタイミングでこれは想像以上に大きな出来事でした。仕事をしながら子どもの面倒を見るのは物理的に不可能で、私は自分の母に来てもらうことにしました。それでも、送迎も買い物も回らない——そんな綱渡りの毎日が始まりました。

この記事は、入院中に書き始めて、退院から1週間が過ぎた今、書き終えたものです。

きれいにまとまった話ではありません。焦りも、苛立ちも、正直に書きます。ただ、この2週間で私は「なぜ自分は時短家電にお金をかけてきたのか」「なぜFIREを目指しているのか」の答えを、頭ではなく身体で理解しました。人生はいつ何が起きるか分からない。だから、普段から時間とお金の余白を作っておく——その一点です。

こんな人に読んでほしい

  • 今まさにワンオペ育児を回している人
  • 共働きで「どちらかが倒れたら詰む」と薄々思っている人
  • 頼れる人が近くにいない、あるいは頼っても限界がある環境の人
  • FIREや働き方を考えていて、その「なぜ」を探している人

この記事でわかること / 伝えたいこと

  • 妻の入院で、共働き家庭の「前提」がどう崩れたか
  • 母に来てもらっても解決しなかった、送迎と買い物という現実的な壁
  • 子どもが発熱した日に、自分が何を感じたか(きれいごと抜きで)
  • 「時間の余白・お金の余白・働き方の自由」が、非常時にどれだけ効くか
  • 退院後のほうがしんどかった理由と、そこで見えたもの

妻の入院が決まった日——崩れたのは「前提」だった

妻が2週間入院することになりました。詳しいことは書きませんが、決まったときにまず頭をよぎったのは、正直なところ心配よりも先に「これ、生活どうやって回すんだ」でした。

情けない話です。でも、それが本音でした。

共働きの我が家は、二人でギリギリ回っていました。朝の準備、保育園の送迎、夕飯、風呂、寝かしつけ。どれも「二人いる前提」で組まれた時間割です。その前提が、片方抜けるだけで一気に崩れる。ジェンガの下の段を抜いたような感覚でした。

仕事をしながら子どもの面倒を見るのは、どう考えても不可能です。

入院は決まっていましたが、いつ入院するかいくつか候補はありました。私と妻は仕事の忙しさや、求職活動の状況を見ながら、極力大事なイベントが少ない期間を探して入院日を決めました。

しかし、子どもの2歳の誕生日を当日祝えなかったり、予定されていた飲み会を諦めたりと諦めなければならないことも多々ありました。

母に来てもらう——それでも埋まらなかった穴

考えた末、自分の母に来てもらうことにしました。ありがたいことに、母はすぐに了承してくれました。

これで解決——とはなりませんでした。

母は車の運転ができません。つまり、保育園の送迎ができない。そして我が家はスーパーが徒歩圏内になく、母一人では買い物にも出られない。家にいて子どもを見てもらうことはできても、「外に出る用事」はすべて私に残るという構造でした。

必要なこと誰がやるか
洗濯やご飯の用意
保育園の送迎私(母は運転ができないため)
買い物私(徒歩圏内にスーパーがない)
仕事

こうして書き出すと、私に寄っているのが一目でわかります。頼れる人が来てくれてなお、詰みかけている。「実家が近い」「親に来てもらえる」という言葉が、必ずしも安心を意味しないことを、このとき初めて知りました。

救いだったのは、私の職場がこうした事情に理解があり、在宅で対応できたことです。これが無理だったら、本当に立ち行かなかったと思います。

職場へはシンプルに「妻が入院することになりまして、、、」と伝えました。変に言い訳する理由もなく、出社できるときは出社しますと話しましたが、上司からは「無理に来なくていい」といってくれました。職場の先輩達も家族を優先していい場面だよ、といってくれて本当にいい職場だなーとしみじみしてしまいました。

「こういうときに限って」——子どもが発熱した日

妻の入院から2日目。その日は打ち合わせが立て込んでいて、フレックスで出社していました。

午前10時半ごろ、保育園からの電話が鳴りました。子どもが熱を出した、というものでした。

正直に書きます。心配より先に来たのは、苛立ちでした。

これまで発熱なんてめったになかったのに。よりによって、今日じゃなくてもいいだろう。妻がいない、母は運転できない、自分は出社している——一番動けない日を狙い撃ちされたような気がして、頭の中で「なんで今日なんだ」という言葉がぐるぐる回っていました。

子どもは何も悪くありません。熱を出したくて出したわけがない。それは分かっているのに、そう思ってしまった自分がいる。会議室に向かう足を止めて、廊下でスマホを握りしめながら、自分の器の小ささに嫌気がさしました。

幸いにも11時から予定されていた打ち合わせがキャンセルされたため、上司に事情を説明し、離業からの在宅勤務に切り替えさせてもらいました。車で保育園まで行く約40分、最初は考えていたスケジュール通り動けないことに苛立ちを隠せず、ため息を付いていました。妻にも状況をLINEで連絡しており、妻から電話がかかってきました。後30分くらいかかることや、保育園からそのまま病院へ迎えるようにWEB予約を済ませていることを伝えました。妻からは「私が行けなくてごめん」と言われてしまい、そこで親として子どもを最優先に考えないとな、と考えを改めることができました。そこからようやく子どもの苦しんでいる顔を想像し、心配する気持ちが強くなりました。

保育園に着いて子どもの顔を見たら、さっきまでの苛立ちはどこかに消えていました。

保育園に着くと医務室でぐったりして寝ていました。先生に起こされ、私と目があったとき泣きそうになりながら手を出し抱っこして、と口には出しませんでしたが全力で体で伝えているのがわかりました。子どもを抱えたとき、カイロのように熱く火照っており、かなりしんどいんだろうな、と抱える手にも力が入りました。

渦中で気づいた、「余白」という言葉の意味

この2週間、何度も同じことを考えました。

人生は、本当にいつ何が起きるか分からない。

分かっていたつもりでした。でも、それは「そういうこともあるよね」という他人事の理解でした。実際に自分の生活が片方の車輪を失って、それでも毎日は止まってくれないと知ったとき、この言葉の重さが変わりました。

そして、非常時に効いたのは、平時に作っておいた「余白」だったんです。

時間の余白——洗濯を干さなくていい、皿を洗わなくていい、床に掃除機をかけなくていい。普段は「まあ楽になったな」くらいの感覚だった時短家電が、この2週間は完全に生命線でした。ワンオペで一日を回していると、家事1つ分の時間が、そのまま「子どもの顔を見る余裕」に直結します。もし全部を手作業でやっていたら、私はもっとひどい顔で子どもに接していたと思います。

お金の余白——非常時は、とにかくお金で時間を買う場面が増えます。惣菜を買う、宅配を使う、タクシーに乗る。そのたびに財布の中身を気にしなければならない状態だったら、判断が鈍っていました。「今は迷わずお金を使っていい」と自分に言えることが、こんなに心を守ってくれるとは思いませんでした。

働き方の自由——結局これが一番大きかったです。在宅で対応できたから、送迎に抜けられた。発熱の連絡に動けた。逆に言えば、私の家庭は「働き方の自由」という一点に、かなり依存して成り立っていたということです。もしこれが無い職場だったら、と考えるとぞっとします。

だから今、強く思うことがあります。今できることを精一杯やること。やりたいことがあるなら、いつかではなく、すぐ行動すること。「余裕ができたら」と後回しにしたものは、たぶん一生やらない。そう感じる日々です。

退院後——「いつも通り」には戻りませんでした

妻が退院して、1週間が過ぎました。

正直に書くと、生活は「いつも通り」には戻りませんでした。退院後も絶対安静の指示が出ているためです。私の負担は入院中と変わらず——いや、正直なところ、少し増えた気さえしています。在宅勤務も、そのまま続いています。

今の私の1日は、だいたいこんな流れです。

時間帯やること担当
5:30起床、自分の支度
〜7:00子ども2人の身支度と朝食
7:30保育園へ送る
8:00〜17:00在宅で仕事
17:30保育園へ迎えに行く
19:00お風呂に入れる
19:30夕飯を食べさせる
21:00寝かしつけ

入院中に作った表と、ほとんど同じものができあがりました。違うのは、家に妻がいることだけです。

朝、小さな棘が刺さったままだった

子どもたちを送り出して仕事を始める頃、妻はまだ眠っています。起きてくるのは10時半ごろです。

その姿を見て、「いいなあ」と思ってしまう自分がいました。こっちは5時半に起きているのに、と。

書いていて、自分でも器が小さいなと思います。安静は医師の指示であって、妻が選んだことではありません。しっかり眠れているというのは、体が回復に向かっているということです。本来なら、いちばん安心していい材料のはずでした。

それなのに、朝の私はそう思えませんでした。子ども2人を抱えて玄関を出るとき、頭の片隅に小さな棘が刺さったままだったのです。

もうひとつ。子ども2人と寝るのは、なぜか私です。安静と、子どもと寝ることは別なんじゃないか——そう思わなくもないのですが、子どもたちが「パパがいい」と言うので、こればかりはどうしようもありません。子どもに罪はない。むしろ選んでもらえているのだと思えば、悪い気はしない。そう自分に言い聞かせて、今日も3人で寝ています。

こうして、自分の自由時間がひとつも無いまま1日が終わります。

きついのは非常時より、「終わりの見えない日常」だった

そして、はっきり気づいたことがあります。

入院中の2週間より、退院後のこの1週間のほうがしんどい。

理由は、たぶん「終わりが見えるかどうか」です。入院中は「あと何日」というゴールがありました。だから気合で走れた。でも今は、いつ安静が解けるのか分かりません。ゴールの位置を教えられないままマラソンを走っている感覚に近いです。

非常時は、気合とアドレナリンでなんとかなります。本当にきついのは、そのあとに続く「終わりの見えない日常」のほうでした。これは、渦中にいたときにはまったく想像できなかったことです。

だからこそ、余白の話はここでもう一度効いてきます。時短家電が本当にありがたいのは、実は非常時よりも、この終わりの見えない日常のほうでした。乾燥まで回してくれる洗濯機も、食器を洗ってくれる食洗機も、毎日1回ずつしか助けてくれません。でもそれが「毎日」続くから、意味があるのだと思います。

最後に、これは書いておきたいことです。棘は棘として残っていますが、妻が退院して同じ家にいてくれること自体は、間違いなく安心です。入院中のあの張り詰めた感じは、もうありません。まだ動けないだけで、家族が全員そろっている。それがどれだけありがたいことか、この1ヶ月で嫌というほど分かりました。

今は、妻が焦らずに回復してくれるのが一番だと思っています。私の自由時間は、そのあとでゆっくり取り戻せばいい。

まとめ:余白は、こういう日のためにある

妻の入院から退院後の1週間まで、およそ1ヶ月。振り返ると、あっという間のようで、とても長い1ヶ月でした。

それでも今、はっきり言えることがあります。私がこれまで時短家電にお金をかけてきたのも、FIREを目指して資産形成をしているのも、「楽をしたいから」ではありませんでした。こういう日に、家族の顔をちゃんと見られる自分でいるためだったんだと、ようやく腑に落ちました。

浮いた時間は、心の余裕になる。心の余裕は、いざというときに家族に向ける優しさになる。順風満帆な日には気づけないその繋がりが、片輪が外れた2週間で、はっきり見えました。

もし今、あなたが「時短家電は贅沢かな」「FIREなんて自分には遠いかな」と迷っているなら。それは贅沢や夢の話ではなく、まだ来ていない非常時に、自分と家族を守るための準備なのかもしれません。少なくとも私にとっては、そうでした。

そして最後にひとつ。頼れる人がいても、思ったようには回りません。だから、頼る先は一つに絞らないほうがいい。人、家電、お金、働き方。細い綱を何本も持っておくことが、たぶん一番の備えです。

この2週間、普段なんとなく使っている時短家電に、本当に助けられました。何を導入して、何が正直イマイチだったかは、こちらにまとめています。

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※本記事は個人の体験を綴ったものです。家庭の事情や職場環境は人それぞれですので、あくまで一つのケースとして読んでいただけたら嬉しいです。

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